今日の東スポ面白かった。
韓国は長年の竹島実行支配を強く言えないと言うんだな。 韓国は「朝鮮半島すべて我が国のものだが、いま北半分を不法占拠されている状態」というのが憲法に書いてあるくらいの公式の立場。
だから竹島について「長年の実行支配の有効性」なるものを世界にアピールすると、「朝鮮半島の北半分は長年実行支配している金一族のものですよ」「朝鮮半島の北半分は韓国のものではありませんよ」と世界にアピールするのと同じになってしまうと言うんだな。
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あごひげ海賊団 : 日焼けの後が妙にエロいプール監視員
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The king of sumotori

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The king of sumotori

377 名前:名無シネマ@上映中[sage] 投稿日:2008/10/17(金) 03:51:28 ID:RCbqhuxf
康夫ちゃんを悪く言っちゃらめえ。

康夫ちゃんは、国士だったんだよ。
あのとき、まだリーマンが破綻になる前で、アメリカからリーマンを助けるために
米国債購入経由で公的資金投入の資金よこせってゆすられてたの。


渡辺みっちーのバカ息子が「じゃあ100兆円用意しますね」って準備を進めてたの。
それに気付いた康夫ちゃんは、内閣改造して渡辺の首を切ってうやむやにしたの。

でも、アメリカはしつこくて許してくれなかったの。
そこで最後の手段、靖男ちゃんの自爆攻撃を敢行したの。
退陣して総裁選、となると、時間稼ぎできるでしょ。そうやってタイムリミットをやりすごしたの。
これは早すぎても遅すぎてもダメなの。
(だから、松子と重なってもしょうがないの。でも、あともう2時間後にやってほしかったけど。。。。)

で、アメリカは日本をゆすることをあきらめたの。
で、向かった先が韓国。韓国が俺が面倒見る二ダって手を上げて、
だから再建関係の環境を浴するのに協力する二ダってアメリカに持ちかけたの。
アメリカは協力したの。おかげで韓国は破産を免れたんだけど、リーマンを無視したの。
アメリカに嘘ついたのね。日本にいつもやってるから、世界にも通用すると思っちゃったのね。

で、ここから世界恐慌が始まったの。
はげたかさんもどんどん集まってきたの。でも自業自得なの。


・・・まあ、そんなわけで、康夫ちゃんは、日本の金庫からアメリカが100兆円を盗もうとしたのを
自分を犠牲にして守ったの。だから国士なの。

だから、悪く言っちゃだめなの。


日本の金でアメリカの金融会社の救済が検討さていた!→しかし福田元首相の突然の辞任で実現せず
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1254784585/


312 名前: ノイズf(catv?)[sage] 投稿日:2009/10/06(火) 11:22:03.32 ID:0BJl4cXS
»295
これこれ、このコピペよく貼られてたな。
これが本当の事だったとは。
福田さんマジかっけーっす!

本書の中心的なメッセージは「人はそう簡単に人を殺せない」という一見当たり前に見えるものだが、その内実は非常に衝撃的だ。第二次世界大戦における米軍の歩兵のうち、戦闘中にライフルを発砲した兵士はわずか10〜15%しかいない、というのである! 残りの者は自分や同僚の命が危うい状況であっても発砲しようとしなかったし、発砲した者の内にもわざと当たらないように撃った者が含まれている可能性がある。では兵士の大半は「腰抜け」なのか? そうではない。彼らは負傷者を救助したり弾薬を運んだりといった、より危険な「任務」を積極的に引き受けることによって発砲を回避しているのである。これは第二次世界対戦の米軍に特有なことではなく、むしろ歴史的にみて普遍的な現象である、と筆者は言う。平時ならソシオパスと呼ばれるであろうようなごく少数(本書によれば2%)の人間を除けば、人は自分の命が脅かされている状況でも人殺しを避けようとするのである。

『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫) (via morutan) (via hanemimi) (via sandman-kk)

こういうの僕はリアルだと感じてしまう。

(via proto-jp) (via gkojax-text) (via yaruo)

高校の現国の教師が「よい文章はすんなり理解できるが、それだと全員100点とれるのであまり筋のよくない難解な文章がテストに使われる」と言っていたのを思い出した。ついでに、天声人語はよくテストに使われるということも思い出した。
http://foxtrot3.doorblog.jp/archives/26831288.html 
#国語苦手
yungsang:

Twitter / nao_qb: 友人にライブチケット代を渡すために作りました。ばかだなーって …
俺んちが最初にVHSビデオデッキを買ったのは1980年ごろ
三菱のファンタス22G、ラジカセみたいにカセットも縦に入れた
持ち運びしやすいようハンドルもついていた
というのもオプションでビデオカメラがあって、カメラ部とデッキ部として外に持ち出せた
しかしカメラだけで25万円もするシロモノで、あわせて50万ぐらいした
父は爺ちゃんからこっぴどく怒られていた『こんな高いもん買いおいって、このバカモンがあ』と
父は以前より8ミリ(フィルムね)を愛好していたが、地方ではフィルムが入手困難になりつつあり
ビデオテープに記録するほうがよかったのだそうだ
まあ、それでも俺と父は二人でいろんなものを撮影した、俺はデッキを持って父のカメラをついていく
ホワイトバランスも調整しないと色がおかしくなるから、画用紙をもつのが俺の役割

そして、ひい婆ちゃんがいつも俺たちのビデオ撮影の格好のターゲットだった
動画で撮ってるなんてよくわかってないので、緊張せずにカメラの前でスラスラ昔のことを話すのは
ひい婆ちゃんだけだったのだ

そして3年後、ひい婆ちゃんが亡くなった、94歳の大往生であった
もう25年も経つが、今でもひい婆ちゃんの映像が残っている
そして、それを大事に保管しているのが、もっとも怒っていた爺ちゃんだ
いまでもそのビデオを見るたびに爺ちゃんは目に涙を浮かべて、
ありがとうありがとうと父に感謝している

そんな爺ちゃんを俺が今ハイビジョンで撮影している、インタビューするは息子の仕事だ
maido3:

世界で最も美しい馬と言われているトルコの馬Akhal-Teke | A!@attrip